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THE GUILTY/ギルティを観たよ

THE GUILTY ギルティ : 作品情報 - 映画.com

2018年公開。監督はグスタフ・モーラー。出演はヤコブ・セーダーグレン、イエシカ・ディナウエ。ジャンルはスリラー。

これはもう凄いね。映画とはこういうものだと再認識することができました。ど派手はアクション、地球滅亡!?、この冬一生に一度の恋が訪れる・・・、このようななんでもかんでもキャッチコピーが上手くいくような映画はごまんとありますけど、そもそも映画としてどうなの?って作品ばかりじゃないですか。タイトルとか広告の為に映画やってんすか?違いますよね!?いや誤解してもらってはあれですけど、好きですよこういうのも!だって観てて楽しいじゃないですか!映画は娯楽として楽しむものでいいと思うんです。でも本当の映画を追及していくと、実はそういった観たことのない何かではないと思うんです。とても普遍的でよくある日常、それでいて登場人物のワンシーン。それが映画の本質だと思うんですよ。娯楽映画は過去にはこういったことがあった、そして今はめちゃくちゃ苦労している。その今を克服し幸福な未来が訪れたっていう起承転結と言うか、説明が多すぎる気がしませんか?

確かに登場人物に感情移入して、ファンになって推しになって、その人のこと知りたいって流れは良いと思うんです。でもそれはあくまでも二次元の世界であって現実とはまた違ってしまうんですよ。これはアニメだけに限った話ではなくて映画でも言えますよ。だからトレッキーとかポッタリアンがいるんです。これは別に悪いことではありまうせん。個人の趣向なのでこれをどうこう言う権利は俺にはないですから。でもファンビジネスに寄りすぎると、果たしてそれが本当にいいものなのか?分からなくなるんです。こんなものいるか?ってものでも推しがいるとついつい買っちゃうとかあるじゃないですか。いやーもうまたしても何がいいたいのかなんやら・・・。

本作のタイトルである”ギルティ”って直訳すると有罪なんですよね。有罪ってことは罪を被っているってことじゃないですか。主人公は罪人なんですよ。これは物語の終盤で本人が口にして気づくんですけど、それまで何度かにおわせる会話はありますね。そんでもってもう一人の主人公と位置付ける被害の電話をした女性も罪人なんですよ。電話越しで対比するこの2人が顔を合わせることはないんだけど、それでもお互いやはりシンパシーを感じているんですね。これはお互いが罪人だからでしょう。

罪を償うとは一体何だろうか。だからそこ牢屋そのものがあるのだろうか。更生の判断や基準ってルールに従っていればそれでいいのだろうか。やはりその人自身が心の底から変わらなくては更生にはならないのである。過去の罪はそりゃ誰だってありますよ。ない人なんていないです。それが大なり小なり罪の価値観は存在している訳で、だからこそ法律があるんです。常に人として正しいかどうか慎重になりながら決めていかないと大変な目になりますわな。新しい家電とか買うときはそういう心意気ですよ俺はね。