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トゥルーマン・ショーを観たよ

1998年公開。監督はピーター・ウィアー。出演はジム・キャリーローラ・リニーノア・エメリッヒナターシャ・マケルホーンホランド・テイラー、エド・ハリス。ジャンルはコメディ、ヒューマン。

前回の”フリーガイ”より監督がインスピレーションを受けたという本作。気になったのでネトフリで鑑賞しました。フリーガイの主人公はゲームのモブキャラだったけど、本作は舞台上の主役が主人公な訳だ。

1人の男の人生がテレビで生中継されているというトンデモな設定である。やはりジム・キャリー。コメディタッチに描かれており、まさにチャップリンの「人生は喜劇だ!」と言わんばかりの明るさを見せている。彼と関わる人間は番組の役者である。さらには彼の住む家や通っている学校まで舞台のセットだとはさすがにやりすぎな気もするが・・・。これじゃ一昔前まで「おもしろくなきゃテレビじゃない」などと豪語していた某テレビ局と同じじゃないかい!あの頃のフジテレビは面白かったよ。今はダメだけど。つまりだ!ジム・キャリー扮するトゥルーマンの人生はすべて偽物である。30年間もの間、番組制作会社が作り出したシナリオの中で人生が決められていく。しかし、トゥルーマンはその真理に気付いていない。愛する女性や親友まで番組側が用意した演者であることを知る由もないのだ。

いくつかの疑問を抱くようになり、トゥルーマンは学生時代に出会った1人の女性の言葉を信じ、フィジー島に”脱走”を図る。今までテレビ会社に監視されていたトゥルーマンがこの世界の真理に気付いたのだろう。それにしてもあまりにも残酷である。今までの人生形成においてほぼすべてが番組の意図によって作らたものなのだ。嫌いな海や犬だって。孤児として生まれたトゥルーマンはずっとテレビ番組の実験をやらされていたのだ。大海の真ん中で船をこぎ続けるトゥルーマンはやがて番組セットの端にたどり着く。それはこの”平面上”の世界に終わりを告げることとなる。番組終了のお知らせである。このラストに歓喜した視聴者は次の番組を平然と鑑賞している。ここが一番怖い。この現状に対して疑問を持つ視聴者がいない=テレビに対して何ら感情を示していないのだ。テレビやメディアが持っている感情操作といった恐ろしさと捉えることも出来るのではなかろうか。

本作はトゥルーマン的視点で自分の人生が作られた世界で人格形成が行われているという恐怖と、1人の男が気になって悪いことだと分かっていてもつい気になってしまう視聴者を描いている。後者は依存症である。人間はスマホを使用すると脳内にドーパミンが流れ込む仕組みになっている。きっとテレビも同じだ。ゲームだってそう。人間関係もそうやな。そのうち、やめたいと思っていもやめられなくなってしまう。本作に関しては視聴者は何ら疑問に思ってなかったけどね。鈍感ってスゲーな。。。