Everything will be fine.

少しでも笑ってやってください!

キング・オブ・コメディを観たよ

キング・オブ・コメディ』人は何故サイコパスな映画を見てしまうのか | Sabot House

1982年公開。監督はマーティン・スコセッシ。出演はロバート・デ・ニーロジェリー・ルイス、サンドラ・バーンハード。ジャンルはブラック・ユーモア、コメディ。

大物コメディアンになる夢を持つルパート・パプキンをデニーロが演じる。そんなデニーロが憧れる大物司会者ジェリー・ラングフォードを演じるのは50年代から60年代にかけて『底抜け』シリーズで人気を博したジェリー・ルイスだ。

タクシードライバー』から6年も時がたち、少々肉もついてきたデニーロが、誇大妄想癖を持つクレイジー役を演じる。ジェリーのトークショーに出演する夢を持つデニーロは本業のコメディアンではなく非合法なやり方で英雄視される。この点はジョーカーに非常に似てる。てかまんまジョーカーやんけ。

本作には母親は出てこないが、おそらく家に引きこもっている(ひょっとしたら病気を抱えているのかもしれない)ような母親である。デニーロの母親をたしなめるような発言からそのように感じた。

 

それではあらすじを語ります。

コメディアンのジェリー・ラングフォードはTV番組の収録時、出待ちのファンで道が塞がれていた。彼は出待ちのファンを潜り抜けなんとか車に乗るとファンの一人であるマーシャが車に押し寄せてきた。

ルパート・パプキンはその女からジェリーを助け出すが、車に乗り自分のネタを収録したテープを渡した。自身も同じコメディアンであり、テレビ共演をしてほしいと頼んだのだった。

ルパートはジェリーと食事に行きテレビ共演を懇願されるが、それは全て妄想だった。そしてジェリーの会社に行くが、受付で門前払いを喰らってしまう。

ある日、ルパートは高校時代の同級生リタに、週末ジェリーに招待されていると告げ、別荘に向かう。しかし実際はジェリーはルパートを招待していなかった。なんのことだかさっぱり分からないルパートは妄想と現実の区別がつかなくなっていた。

熱狂的なファンであるマーシャと手を組み、ジェリーを誘拐する。そしてルパートは型破りな方法でジェリーの番組への出演権利を手にするのだった。

そして番組当日、ルパートは姿を現した・・・

 

何とか夢であるトークショーに出演することができたデニーロの漫談(?)はとびきり暗い内容だ。

まさしくブラックジョーク。なんで観客はそこで笑うねんってかむしろ嘲笑ってるやんか。これあれやなー。昔、松ちゃんが『一人ごっつ』でやってたピー助のコントにも通じるものがあるよなー。

コントの内容は番組終了後の反省会なんだけど、ピー助は血まみれで体中傷だらけな訳です。そこにはスタッフ達の悪だくみ企画というか、年齢だけ重ねて重鎮ポジションを譲らない大物司会者に対する皮肉を込めている気がする。

本作にもそういったアンチテーゼを感じた。

大物司会者を誘拐する→番組制作サイドはデニーロの企画に同意→警察はデニーロに言われるがまま。とりあえず逮捕はするが、前代未聞の大事件になりかねない一連の流れにも関わらず関係者達はあまりにも冷静過ぎないか?

これはもしや世代交代って意味でもあるのかな?

しかし、コメディアンとは不安定な商売である。築き上げた地位が一瞬で崩れ落ちるなんてこともザラにある。本作のように自身の番組が乗っ取られ誘拐でもされたら、野猿で貴さんが歌っていた「群衆の中に紛れていたい」という気持ちが痛いほど分かりました。