とんねるずとダウンタウンについて
この番組名は古くから知ってはいましたが全くなじみがないのです。
この番組をリアルタイムで見ていなかったので思い入れはないのですが、高校2年生ぐらいからダウンタウンにはまり、これは見ないわけにはいかないだろうとDVDをすべて見ました。
ダウンタウンは現在でも第一線で活躍している数少ない成功したお笑いコンビの一組です。
そして彼らの成功の最大の要因は間違いなく
なのです。
おっーと、若かりし頃の二人ですね。
たぶん1992年~93年ぐらいじゃないでしょうか。
↓
当時はアイドル的人気を誇り「笑っていいとも」のレギュラーでもありました。
また彼らの冠番組も多く放送されお笑い第三世代(とんねるず、ウッチャンナンチャン、B-21スペシャルなど)とともにお笑い界のトップに上り詰める勢いがありました。
いやもうすでにトップだったのかもしれません。
当時のお笑い情勢を間近に見てきたわけではないので詳しくはわかりませんが、ダウンタウンよりも先輩であるとんねるずは1980年に結成しスター誕生に出演してから80年代を一世風靡し若者たちに多大なる影響を与えていました。
彼らの行動や言動はたちまち社会問題となりました。
90年代となるとすでにお笑いの、特に東京ではトップ芸人として数多くの冠番組を持っていました。
各いうみんな大好きダウンタウンは1982年にコンビを結成しましたが、不遇の時代が続きます。同期のトミーズ、ハイヒールが注目を浴び売れる中、ダウンタウンはやりたくもない京都の演芸場で漫才をやる日々が続きます。(漫才をやるのは嫌いではなかったんだろうけど京都の演芸場が嫌いだったという会話はよくテレビ番組でもネタにしていますw)
そんな中、「4時ですよーだ」が大阪で始まり人気に火が付き、ウッチャンナンチャンと共演する「夢で逢えたら」が大ヒット。この番組の前にはねるとん紅鯨団が放送されており、皮肉にもねるとんの視聴者を巻き込んでのヒットだったのでしょう。
同時期に「ガキの使いやあらへんで」も放送開始し本格的に東京進出を果たします。
東のとんねるず、西のダウンタウンと呼ばれるにはまだまだ先でダウンタウンは大阪では人気がありましたが、東京で成功するかはまだまだ未知数でした。
東京進出にあたって松本人志の尊敬する芸人の一人である島田紳助からは
「コンビでやるのはしんどいやろうから、1人でやれ相方は捨てろ」
という助言(?)を受けています。
おそらくこの意味はダウンタウンは東京でコンビとして成功する、だけど1人で活動したらもっといいことがあるよ、という彼なりのメッセージなのでしょう。
半ば強引かもしれませんが、紳助の性格上、素直に人をほめたりはしません。相手が芸人であればなおさらです。
そんな助言を信じてか信じてないのかわかりませんが、ダウンタウンは東京進出後、コンビとして成功をおさめ、それぞれソロで活動していきます。
松本は「遺書」、「松本」がベストセラーとなり浜田はH jungle with tとして小室哲哉プロデュースのもと「WOR WAR TONHIGT」を発表します。
このあたりが94~95年で彼らの全盛期といえます。長者番付では2人で首位を独占するなど人気・名実ともに不動のものとなります。
ここでやっととんねるずと肩を並べる存在になるのです。
もうすでにダウンタウンの成功はとんねるずが80年代に成し遂げたことなのです。
そして私は彼らの成功の要因はごっつええ感じだと断言します。
それはもうYoutubeを見ればわかります。
ごっつは時代性を感じるし見るのがきついコントもあります。
ですが「おかんとマーくん」、「トカゲのおっさん」、「Mr.Bater」、「キャシイ塚本」、「殺人事件シリーズ」あたりを見ればきっとわかるでしょう。
あつくなりましたがこのへんでおわります。
どうして好きなものを語るとき、人はあつくなるのでしょうw