ジョーカーを観たよ
2019年公開。監督はトッド・フィリップス。脚本はスコット・シルヴァー。出演はホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ。ジャンルはサイコスリラー。
DCコミックスのスーパーヴィラン(悪玉)のジョーカーの過去を描いた本作。
とはいえバットマンに出てくるジャック・ニコルソンやキース・レジャーが演じたジョーカーとはまた一味違った、というか世界観含めて全く別物の作品である。
バットマンであるブルースの少年時代でしかもジョーカーと実は血がつながっていたというパラレルワールド&衝撃展開。いやもしかしてこれってファンの間では通説なの?と困惑したが、そんなことはもはやどうでもいいのである。
主人公・ジョーカーは突然笑いだしてしまう障害を抱えており、この障害が自身をこれでもかってぐらいに苦しめる。
そんな彼を迫害しようとするゴッサムシティに住む者たち。それは現代社会を象徴しているとどこぞの映画評論家は言うし、ジョーカー擁護があまりにも多いので俺はあえて反対派として貫いていきたいと思いませう。
それではあらすじを語ります。
ゴッサムシティで働くアーサー・フレックは大道芸人(ピエロ)として生計を立てており母親と二人暮らし。
アーサーは脳と神経の損傷から突然笑いだしてしまう病気を抱えていた。母親も心臓と精神を病み、30年前に仕えていた大富豪トーマス・ウェインに救済を求める手紙を送り返事を待ち続けていた。
貧しい生活をしていたがコメディアンになるという夢がアーサーを支えていたのだった。
そんな中、アーサーを不幸が襲う。彼は職を失い、福祉予算の削減によって持病のカウンセリングも受けられなくなってしまう。
帰りの電車でサラリーマン3人組が女性にちょっかいをかけている場面で、アーサーはストレスにより笑いを抑えられなくなってしまう。それを見たサラリーマンは彼に近づいていた。そしてアーサーは拳銃を取り出しサラリーマンを射殺する。アーサーの中に秘めた何かがはじけた瞬間だった。
アーサーは同じアパートに住むシングルマザーのソフィーと親交を深める。アーサーはソフィーを自身が出演するスタンダップ・コメディに招待する。自分の出番になると笑いが止まらなくなってしまい、客は無反応でショーは失敗に終わってしまう。ところがこのすべり芸がアーサーが尊敬する司会者、マレー・フランクリンの目に止まりトークショーへの参加機会を得る。
一方、アーサーの母はトーマス・ウェインに手紙を送り続けていた。そこでアーサーはある事実を知ることになる。
ついに母親を殺し、ソフィーとの関係も妄想であることを知る。もはや彼が守るべきものは何一つなかった。
そして、マレー・フランクリン・ショーの出番を迎えたのだった・・・
にしてもアーサーよ、君はお笑い芸人が夢だったんだろう。お笑い芸人としてキャリアを積む思いがあったんだろう。そしたら犯行に及ばず人を笑わせることに全身全霊をかけるべきだったんじゃなかろうか。人に笑われるから辛い、こんな俺は不幸だ。確かにあんたの気持ちはわかるけど、日本に来たらいじられて笑いをとる芸人がごまんといるんだぞ。そんないじられ芸人で頂点を目指せば、普通の会社員のうん十倍の給料がもらえ、高級車に乗り高級マンションに暮らす権利を手に入れることが出来るのだ。
だからアーサーよ、ゴッサムシティなど訳の分からん街で暮らすのではなく東京に来て芸人でトップ目指すんや。笑いの文化は西洋とアジア圏では違う?それはあるかもしれんな。日本と韓国でも違うだろうし、中国とも違う。でも日本で活躍する海外芸人は多いんだぞ。ゾマホンとかサンコンとか!あれ、なんかまた話が脱線している気がする。。。この辺でまた明日もお会いしましょう。