マディソン郡の橋を観たよ
1995年公開。監督はクリント・イーストウッド。出演はクリント・イーストウッド、メリル・ストリープ。ジャンルはロマンス。原作はロバート・ジェームズ・ウォラーによる同名小説。
平凡な夫婦生活を営むメリル・ストリープが旅するおやっさんに恋をしてしまう”不倫”をテーマにした作品。不倫と言えば昼ドラのようにどろどろとした女同士の醜い争いや離婚騒動、金の行方は?といった観るに堪えないようなそれでいて何故か楽しくなる(まさにこれは他人の不幸は蜜の味ってやつですかね?)訳の分からん状況になるが、本作にはそういった日本独自のどろどろはない。アメリカは離婚しても元・旦那、元・妻と連絡やら子どもを会せたりはよくあることだ。だからといって離婚がいいことではないぞ。バツはないほうがいいに決まっている!(シャッキーン!)
とのっけから偏見混じりで語ってしまっていますけど、結婚と言うのは地獄とよく言うじゃないですか。あれはなんですかね?それと「あー結婚してよかった!」なんて言ってる人いないですよね。不思議なものです。出会ったころは可愛かった妻もシャープだった夫も変容を遂げていきますわな。そうすると真新しさもないし、刺激のない日々が続く。夫婦はお互いこれでよかったのかと心の中で自問自答する。しかし、そんなことを口に出すのは気が引けるから言えないでいる。子どもはどんどん大きくなっていく。そうなると夫婦の愛は子どもに注がれていく。きっとメリル・ストリープがおやっさんのもとに行く決断が出来なかったのってそこに行きつくんだろうな。子どもが大きくなって自立してたら旦那のもと離れてたかもよ。
もう少し出会うのが遅かったらどうなっていたのか、そういった運命のいたずらが2人を結び付けて突き放す。今でこそマッチングアプリとか普通になっているけど、一昔前は邪道も邪道でそんなんで付き合うのとか無理と言う人も多かったものだ。ナンパもその類いだね。日本人はお互いの出自、どこで出会ったのか、どこで知り合ったのかきっかけを重視しているが、そんなことはどうでもいい気がする。オーソドックスは職場やら学生時代の友人になるのかな?知らんけど。でも、本作みたいに偶然が偶然を読んで偶然で知り合ったみたいな2人の方がよっぽどロマンチックな気がするな。それこそ、マッチングアプリとかナンパもそうじゃないですか。それこそ知り合った異性とアポ取って何回か遊んで付き合う。ましてや結婚なんてしてみいや、こりゃ凄い事やで。しかも、利害関係も大してないから気が楽でいいやろ。これを悪いという風潮がやはりまだどこかに隠れている気がする。結婚式でも出会いのきっかけを司会が説明したりするやん。それを嫌がる若者はまだやはり多いのだ。
やっぱりおやっさんの作品って改めてええわあ~。