2001年公開。監督はスティーブン・スピルバーグ。原作はブライアン・オールディス『スーパー・トイズ』。出演はハーレイ・ジョエル・オスメント、ジュード・ロウ、フランセス・オコナー。ジャンルはSF。
元々はスタンリー・キューブリックのプロット、アイディアによるものであり、監督を務める予定だったが彼が死去したため、スピルバーグに受け継がれた。
キューブリック監督のもと制作も行われていたが、消滅。その後、遺族からの熱望により本作が実現した訳だ。
『2001年宇宙の旅』などキューブリック作品は難解だと世間からの評価が分かれる。
だからこそ視聴者は考える訳で、考えるヒントを与えるが答えは自分で導き出すものだという彼の姿勢は芸術性を求めているからである。
一方のスピルバーグはというと、作品のストーリー性よりもキャラクターを活かした作品が目立つ。どちらかというと大衆性を重視している。
水と油のような2人である。しかし、スピルバーグ自身がキューブリックの意思を尊重したと発言している通り、キューブリックが私たちに伝えたいメッセージが隠されている。ただキャラクターに関してはやっぱスピルバーグだなあと思ってしまうのは致したかたない。
それではあらすじを語ります。
舞台は近未来。地球温暖化のよる海水面の上昇にで多くの土地が沈んでしまった。残った土地で暮らす人々は飢餓に苦しみ、妊娠・出産は許可制度が用いられていた。
人間の代わりに多くの資源を必要としないロボットが必要不可欠な時代となっていた。
その時代に人間と同じような感情を持つロボット「デイビット」が製造された。彼を製造した会社の社員であるヘンリーとその妻・モニカのもとに送られた。2人の間に息子マーティンがいたが冷凍保存で眠っている状況だった。
起動したデイビットはモニカを愛するようにプログラミングされた。
最初は人間そっくりなデイビットに対しモニカは嫌悪感を抱くが、共に生活するうちに互いに親子の愛を育んでいく。
そんな中、息子マーティンが奇跡的に病を治し家に帰ってくる。
モニカはデイビットよりも実の息子であるマーティンに対し愛情を注ぐようになり、マーティンもデイビットを追い出すように仕向ける。
その結果、デイビットは森に捨てられてしまう。
玩具型ロボ「テディ」、セックスロボット「ジゴロ・ジョー」とともに旅を始めたデイビットは愛する母との再会が出来るのだろうか・・・
デイビットは何故ここまで母親に固執するのだろうか。人間の感情を持つロボットとして製造され、人間と変わらない姿をしているデイビット。
母親を永遠に愛するようプログラミングをされた彼は、プログラミング通りに動くただのロボットなのか?それとも母親を求める感情そのものが人間になりたいという思いだったのか。
考えれば考えるほど答えが出ないが、おそらくデイビットは人間になれたのではないだろうか。
最初はロボットとしての動きしかないデイビットがストーリーを行うごとにより人間味を増していくそんなオスメント君の演技も素晴らしいものであった。