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天才作家・三島由紀夫に迫る!

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三島由紀夫(みしまゆきお)。

本名:平岡公威(ひらおかきみたけ)

誕生:1925年1月14日

死没:1970年11月25日(満45歳)

代表作:「仮面の告白」、「金閣寺」、「潮騒」、「豊饒の海

 

私は文系大卒(しかも創作科)だったので三島文学については避けては通れなかった学生だったのです。

でも私は高校で三島文学の授業は習わなかったので彼が存在することすら知りませんでした。

おまけに創作科というのも第一志望ではありませんでした。(確か第一志望は法学部とかだった気がする、、)

文章を書くのは多かれ少なかれ得意ではありましたが、文章で生きていくなんて野望はこれぽっちもありませんでした。(今はかなりありますがw)

私は三島由紀夫を3年生になった頃、ゼミの授業で知りました。

ゼミの課題は今まで授業の中で取り扱った文学作品の文学レビューを行うというものでした。

そこで私は授業で習わなかった宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」についてレビューを行ったのです。何故、授業で習わなかった宮沢賢治を特集したのかというと、私は創作科の授業を真面目に受けておらず友達と授業を抜け出しては煙草を吸ってだべってるというどうしようもない学生だったのです。恥ずかしいです。くず野郎です。

両親が苦労して稼いだお金をどぶに捨てているようなものです、、、、

でも当時の僕はそんなこともお構いなく授業をふけってました。

おそらく中学時代の鬱憤が大学時に爆発したのでしょう。いわゆる大学デビューというものです。しかも髪の毛も金髪でした。(瞑想しすぎw)

 

そうなんです、ゼミのレビューの課題は授業で扱った文学作品を教授が用いたレジュメを使用し発表するというものでした。

「俺、レジュメなんて捨てちゃったよおおおおおお!!!!」

「ノートだってほとんどとってないよおおおおおおお!!!!」

 

もう完全になめてますw

何のために大学に入ったのかすらわかってないですw

 

困り果てた私は万事休す、教授にレジュメを持っていないこと、ノートをとったことがないことを伝えました。

教授もやれやれとした顔でした。それ以上に落ち込んでいる私を見ると教授は

「それなら君が今まで読んできた作品の中で面白いやつをレビューしてよ」と言ってくれました。

 

「やったああああ!!!ありがとう先生!!!!!」

そもそも落ち込む意味が分からないのですが、恥じらいだらけの学生は真っ先に思い浮かんだのが宮沢賢治だったので、賢治の代表作である「銀河鉄道の夜」をレビューしました。

 

って今日はけんじの回じゃない!!!!!きみたけの回だ!!!!!!

本当に危ないです。いつも脱線してしまう癖がまた出てしまいました。

これはブログだから許せるもののテレビ番組とかだったら放送事故レベルです。

 

三島由紀夫を知るきっかけになったのは、別の学生が「金閣寺」についてレビューを行った時の事です。教授の総評で三島由紀夫は間違いなく天才、私は好きではない、でも熱く語ってしまいたくなる。。。

こんな風な訳の分からない総評なんだけどとにかく凄いというのが伝わりました。

私も三島文学が好きかと聞かれたら好きではないです。

でも彼は一作家として様々な偉業を成し遂げているのは事実でしょう。

彼の評価は賛否両論ありますが、彼は間違いなく天才であります。

 

三島由紀夫、9歳の作文

「冬の夜」

ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか?とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。
その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。
むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。
そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。

 

三島由紀夫、11歳の作文

「我が国旗」

徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、 
或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。 
朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。それは鹿児島の大大名、天下に聞えた 
島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。 
模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。 
それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。 
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。 
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。
僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。

 

この文才っぷりをお分かりいただけたのではないでしょうか。

まだまだ語り切れない部分があるのでまた三島由紀夫について迫りたいと思います!(おい、セックスピストルズはどうしたんだw)